ミッドウェー敗戦後、2~3割の勝率を限りなく0に近づけた存在がいた

2022.08.20

YC

大東亜戦争前の軍部(特に陸軍)の方針は北進。 
ここでドイツと日本で東西から挟み撃ちにしてソ連を叩いていたら、共産主義は消滅してその後の世界は大きく違っていただろう。 

しかしこの北進戦略は近衛の工作によって封じられてしまい、次善の策として陸軍の秋丸機関が緻密な分析から導き出した結論が、南進からの西進すなわち“大東亜戦争”。 

実際に戦火を交える相手はあくまでも英国という想定であり、対米は思想戦というのが開戦前の軍部の総意であったにも関わらず、実際には決して攻めてはならないハワイに展開して“太平洋戦争”へ。 

当初の作戦である南進からの西進の時点では、勝率9割以上。 
真珠湾を攻めてアメリカを巻き込んでしまってからも、まだ勝率は5割ほど。

昭和17年3月、何とか方針を修正した日本軍が順調に西進を続ける中、チャーチルが秘密裏にルーズベルトに送ったSOSの電報を受け、アメリカ陸海軍をあげての決死の作戦である「ドゥーリトル空襲」が見事に功を奏し、帝国海軍はまたも東進を決断。

この後のミッドウェーで敗戦してからも尚2〜3割の勝率は残っていたのだが、これを限りなく0に近づけるべく暗躍したのが海軍幹部の若干名。 

こんな話は2年前まで全く知りませんでしたが、貴重な一次資料に基づいた千勝先生のお話は、聴けば聴くほど説得力があります。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
真の歴史を学び、今に活かしたいですね!